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1 はじめに
「外科(Chirurgie,Surgery)=ヒルルギー,サージェリー」は,ギリシア語の「cheiro=hand(手)」と「ergon=work(作業,技,仕事)」が合わさってできた言葉であり,これが意味するところは「手作業,手仕事」である.また,外科が創傷(wound)とその管理と不可分の関係にあることは言うまでもないところで,昔から特に戦傷の取り扱い(軍陣外科)を中心に,なかには間違った方法論もあったようであるが,先人達によってさまざまな創意工夫や改良が加えられることで,外科学は進歩してきたと言える.
中世,西洋ではキリスト教の教義に基づいて僧侶が医療者となり,主として僧院で医療が行われていたのであるが,宗教上の理由から人体解剖は禁止されていた.さらに1163年のトゥールの宗教会議において「教会は血を忌む」と決せられて以降は,常日頃は理髪(床屋仕事)を生業としていた輩がその手先の器用さを買われ,大学においてラテン語でGalenusらの医学古典を学んだ医師の指示のもとに,医術の代行者として種々の医学的処置(創の縫合,瀉血,浣腸など)を行っていた.そういうところから,彼らは「理髪(床屋)外科医=barber surgeon」と呼ばれた(図1).現在,床屋の店先で回っているサインは,一説ではこの理髪外科医としての名残りで,「赤・青・白」でおのおの「動脈血・静脈血・包帯」を表すものとされる.しかし,病気に関する考え方として体液病理学(Hippocratesやその後継者であるGalenusによって打ち立てられた学説で,粘液・血液・黄胆汁・黒胆汁という四つの体液の乱れによって病気が発症するというもの)が受け入れられていた当時は,医師は尿検査(“uroscopy”と言い,患者から得た尿の色や臭い,味などを診ること)を参考にして,金科玉条となっていたGalenusらの古典医学書に基づいて診断を下すだけであった.そして,治療としては病気の原因である体液のアンバランスの是正をはかるために,代行者であった彼ら理髪外科医に瀉血や浣腸などの医療行為を行わせていた(図2).また,戦傷を扱うことも多く,ドイツでは戦傷をはじめとする色々な創傷の処置や治療を行ったり,四肢の切断を行う者をWundarztney(強いて訳せば“きず医者”)と呼んでいた.
わずかに阿片やマリファナなどが手術時の痛み止め(麻酔薬)として使われていたこともあったようであるが,今日的な意味での麻酔や抗生物質などの感染制御がなかったこの時代に,理髪外科医に要求されたのは手術遂行の迅速さと,患者の悲鳴にひるまない無慈悲なまでの冷静さと物事に動じない胆力を持つことであった(図3).
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