連載 神経心理学史の里程標・18(最終回)
神経心理学の先史時代—脳室学説とT.Willisの周辺
浜中 淑彦
1
1京都大学医学部精神神経科
pp.837-839
発行日 1983年8月1日
Published Date 1983/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406205176
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近代神経心理学の誕生と発展の跡を19世紀初頭より辿って今世紀に入った所で,ひとまず本稿の筆を欄くことにしたいが,最後に若干の紙面をいただいて,神経心理学の「先史」時代(Eliasberg 1950)に簡略に触れておきたい。
「浮いた情fancieは何処許で育つ? 心の臓でか,頭脳の中でか?」大劇家W.Shakespeare (1600)が「ヴェニスの商人」(3幕2場—坪内逍遥訳)でポーシャ姫の口から語らしめたこの対句のうちに,古代から近世にいたるまで幾十世紀にわたって交代しつつ存続した二つの心身論,つまり脳学説対心臓学説の「永年の葛藤」(W|Pagel 1958)が集約的に述べられている。"fancie"とはスコラ学の心理学的概念で正しくは表象,想像を意味するが,細部を略して言えば,「心の座」を心臓に求める学説は,さまざまの感覚様態を統合する共通感覚器官sensoriumcommuneを心臓にみた万学の祖Aristoteles (前4世紀)に遡るもので,ルネサンス以降でもParacelsus(16世紀)や血液循環を発見したW.Harvey (1628)などにさまざまに形をかえて現われる—ちなみに古代中国医学でも黄帝内経素問(前1〜後11世紀)では「心は君主の宮であり神明出ず」とあるのに対し,道教医学(後3〜4世紀に成立)では「泥外宮(脳室の一部)は魂魄の宿る穴」(道蔵—杉田玄白「和蘭医事問答」1795)と述べており,外見的類比の域を出ないにしても,心臓学説と脳学説があった点は興味深い。
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