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九月号をお届けする。例年ならば新学期を迎えてお互にいつそうの精進をと申したいところであるが,本年は一部の医学校では新学期どころか,ストライキのために講義がいつはじまるかわからぬ状態である。かく申す私の属するた学もそのひとつで外来受付が封鎖されている。23年前の8月15日当時私が医学部学生として玉音放送をきいた東大安田講堂も現在は学生に占領され,赤旗がひるがえつている。隔世の感と言つて済ましてはおられない。23年間の教育の成果がよかれあしかれここに出ているからである。
学生は授業を放棄し,教授はその対策に追われて研究が手につかないとあつては,学問の自由も何もあつたものでなく,第一世間に対して申しわけがない。申しわけがないだけでなくこれに根ざす損失はここしばらくは目立たぬにしても10年20年後にはつきりその報いのくることをわれわれは深く銘記しなければならない。強行策をとるなり,妥協するなりして早く正常にもどせとの声が高まるのも当然のことである。しかし,それを承知しつつも教育という立場からは妥協できぬ一線があることを忘れてはならないと思う。すなわち学校というからには小学校であろうと大学であろうと教えるものと教えられるものとの間に一定の傾斜があつてはじめて存在する。その傾斜をなくしたり,さらに逆にしようという事態が実現すれば,もはや学校の存在意義はない。このような人間関係は洋の東西を問わず古今を通じて教育には不可欠の,守らるべき最後の一線である。学生の要望もこの線を越えるものであれば,いかなる圧力があろうと容れらるべきではない。もつともそれをどこまでも主張するには教授会の側にも教育者研究者として自らを律するに厳しいものがなければならない。その点学生は実に鋭敏である。講義や実習でこちらの準備不足があればたちどころに反応を示す。教師というものは四六時中勉強せねばならないように運命づけられていると考えてあきらめるほかはないのである。現在の学生運動をうけとめ最後の線を守るにはこれに徹する以外に道はない。強行策も妥協もその前には色あせるからである。
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