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昭和43年の第1号をお届けするとともに,誌上より年頭の御挨拶を申し上げる。本年はすでに御承知のように明治100年にあたり,その盛代をしのんで各種の行事が行なわれることと思うが,われわれ学徒もこの機会に先人の偉業を回顧し再評価して,これからの道を歩む資としたい。
先日たまたまさるデパートで「近代日本の夜明け展」という展覧会を見る機会を得た。鎖国令のでたのが1639年,明治元年が1868年であるから,明治の開幕に先立つ約230年の明暗おりまぜた激動の時代を,幕末の「三大事件」といわれる解体新書の訳業(1774),シーボルト事件(1828),蛮社の獄(1839)を中心に,これらに登場する先覚者たちの業績を豊富な資料で紹介したものであつた。大きな歴史の流れから見れば,華麗ともいえる明治のかげに覆われて,これを迎えるための前駆期にすぎないと片付けられもしようが,数々の生々しい資料に接し,その時代に身をうつして考えると,暗中模索の動乱の日々を自己の信念のみを頼りに,より高いものを目ざして挺身し,生前にはむくいられることきわめて少なく,しかもそれをよしとして自ら死の道をえらんだ人人の気迫がひしひしと身に迫つてきて,泰平の世に慣れがちのわれわれの心をはげしく揺すつてやまない。ルネッサンスは偉大であるが,ルネッサンスを準備した人々はさらに偉大であつたとかつて美術史家よりきいたことがあるが,そのことがまさにここにあてはまる。前野良沢,杉田玄白らの蘭學事始についてはここではふれまい。幕府の側にあつた新井白石や伊能忠敬,江川英龍らの見識とはるかな見通し,在野の高野長英,渡辺崋山らの真に国をおもう気慨にみちた行動はその筆蹟や画業や日常の品々によくあらわれて,支配者被支配者の立場をこえて,人間として実に見事という他はない,ことに崋山のごとき,極貧の中から身をおこし,人としてあらゆる不幸にさいなまれながら,すばらしい画業をのこし,しかも「一掃百態図」に見られるような綽々たる余裕と俳味。もしわれわれにしてこうした境涯におかれたなら,仕事をすてて易き道につき,自己の能力を十分に発揮できないのはもちろん,余裕など到底もちえないのではあるまいかなど思いめぐらし,顔の赤らむ思いがした。
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