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ドイツ連邦共和国Bundes Republik Deutscnlandの首部Bonn,ローレライの岩肌を噛むラインの急流を下ること約40km,滔々と流れるその左岸に位置し,人口15万首都というにはあまりにも静かなこの町に,筆者はAlexander von Humboldt財団から給費を得て1年間滞在し,つぶさにドイツにおける脳神経外科臨床の実態に触れることができた。ボン大学(正式にはRhei—nische Friedrich-Wilhelm Universität Bonn)の創立は,他の多くのヨーロッパの大学がそうであるように古く,1786年時のプロロシャ皇帝Friedrich WilhelmIIIによる。大学本部は戦渦を免れ、往時の選挙候の居城をそのままに伝え,その敷地の一端はラインの河岸に達している。広大なよく手入れされたそのHofgartenと,それをとり囲む見事なマロニエの木立とは,学生だけでなく市民一般のまたとない憩いの場となつている。大学はカソリック神学,新教神学,法学,医学,哲学,数学,自然科学,農学の7学部より成り,学生総数約2万.(その1割は外国人学生)を擁する。医学部の主要施設は戦火にあい,筆者の勤務したNeurochirurgische Klinikと,それに接するMedizinische Poliklinik,Institut für Neuropathologieとを除き,他はすべて効外数km離れた丘陵Venusbergにおかれている。広大な敷地の中,白樺の繁みの間に散在する各病棟の外観は決して近代的とはいえないが,その環境は申し分ない。
ここの脳神経外科教室の主任は,ドイツ脳神経外科学界の大御所Prof.Dr, W.Tönnisの高弟,Prof.Dr.P.Röttgenで,Prof.Dr, Tönnisが第一線を退いた現在ドイツにおけるこの分野での指導的地位にある。
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