連載 随想・2
脳外科の昔話(2)
中田 瑞穂
1
1新潟大学
pp.875-878
発行日 1962年9月1日
Published Date 1962/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1406201333
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III.日本の脳外科の昔
先月号で述べたように脳の手術は独,墺,仏,英など欧州ですでに前世紀の末からかなり多く行なわれていた。日本外科学会の創立が明治32年で,それは1899年のことであり,当時錚々たる洋行がえりの諸先生は皆,すでに多少とも独,墺の脳外科についても知つておられた年代である。伊藤隼三先生が第1回日本医学会で脳外科の講演をされたのが明治35年(1902)年であり,三宅速先生が中心回の脳種瘍剔出に成功された報告が明治38年(1905)のことである。(Cushingは1901年からはじめた)私はその頃まだ小学生であつた。三宅先生といえば私の生れ故郷の島根県津和野あたりですでに有名な外科の名医であつて,私が10歳前後の頃町の人ですでに三宅先生に手術してもらつたという「てんかん」患者(名前もわかつている)が頭に大きな不気味な凹みをもつていて,さわらせてもらつたことを覚えているし,胆石,盲腸でも金のある人は九州大学まででかけて三宅先生の手術をうけたものである。
だから日本外科学会の第1回からすでに頭の外傷とか頸動脈結紮とか,第2回には耳科的脳外科などの演説,第4回には山形教授が「てんかん」の穿顱術の8例報告,第7回には上記三宅先生の脳腫瘍日本第1号の報告などがあつた。その頃から剖検例や手術例にいろいろな脳腫瘍例が少しずつ発表され,質問討議も行なわれている。Meningiomの剖検例は明治41〜42年(1908〜9)に山極先生の剖検されたものを外科学会で,丸山忠治氏が報告した。
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