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はじめに
脳波は,もしその豊かな変化が神経機構によつて充分表現されたならば,脳の活動の研究にとつては最高のindicatorとなりうるであろう。しかし,脳波の様な不規則な波動様現象に関して吾々は未だ充分なる研究上の立場をもっていない。殊に多くの要素放電が集つて作る電位変動の解明は電場の問題等が介入して非常に困難となる。脳波解明の問題はこのような理由によつておくれている。
最近の生理学の進歩は神経線維,神経細胞体,シナツプス等脳の活動単位が示すelectricaI acti-vityをmicroelectrodeの使用によつて次第に明らかにして行くに至っている。脳波は恐らく皮質の中に含まれるそれらの和であろう。
併し,それらがどの様なactivityを示した時に,脳波はどの様な波になるのだろうか。それは未だ明らかにされていない。そして残念な事に昔からそれが,しかもそれのみが残つているのである。思うに生理学の進歩の方向は,全く分析の方向であって,現代生理学の当面の研究は細胞それ自体,更に形質膜自体のactivityの究明にあるかの感がある。それは複雑な生理現象をより単純な要素のactivityに還元しようとする素朴なる方向であった。しかし生体はそもそもそれら細胞の群からなる器管が集つて協働する場であり,生理学は元来その協働の法則への追求も重要なる目的とする。分析はその手段であり,鋭意なる分析はより高き綜合への下地であらねばならぬ。
脳はこの意味において集り且協働する細胞群の最も典型的なものである。脳波の分析はだから,それら要素間の綜合的連関性をとらえねばならない。この意味で脳波の分析は,集つた細胞群の現象に対する生理学の一つの試みであるといえよう。
既にAdrian,Renshaw,Forbs,Gibbs,Mo—ruzzi,Japer,本川らの業跡があるが,未だ上記の諸問題を解明するには至つていない。それの一因として脳波の示す不規則な周期現象に量的な表現を敢えてする努力がなかったという事をあげたい。
この様に考えると,現在の脳波研究の一方向はその客観的な表現にあるともいえよう。ただその表現はあくまで脳波による脳の解析及び脳波の本態の追求のためのものであつて,臨床上の分類のためのものだけではない。もしそうならば"見ただけで明瞭に区別出来るものをなぜ面倒な数字で表現しようとするのか""いずれにしても頭皮の上からとつているものをより細かに表現しても,中身は分らないではないか"との従来なされてきた重要な批判と反省の前に無価値に近い面のみを露出するに終るであろう。
脳波の本態とは脳波をなす個々のelectrical activityの究明だけではなく,それらが電気的にあつまつてなす波状現象に関して,そのあつまり方の法則と,その発生機構に関する法則を含んでいる。前者は脳の複雑な電場の問題を含み,後者はunit activityとしての周期性興奮の問題を含んでいる。そしてこの両者があつまつて困難な不規則な周期性現象の問題をつくりあげているのである。しかし脳波は神経線維における活動電位で考えられるようには,脳の示す主役的な現象でない。脳波は脳の働きの側面像にすぎぬ。だから脳自体のactivityに本質的なものと,本質的でないものをも含んでいる。故に脳波の表現はこの前者のみを目標とすればいい事となる。
上のような立場での表現を可能にするためには,先ず脳又は頭皮の複雑な電場の問題や,波様の現象に関して出来る限り素朴且明瞭な物理学的表示を行つて皮質内の要素放電のpatternと脳波の波形が如何に関係づけられるかをみなければならない。この場合脳波を表現する素材となるものは脳皮質にふくまれた神経要素である。この放電現象をその形がspikeであろうと緩徐なlocal posential様のものであろうと,一括して要素放電unit dischargeと呼ぶ事にする。要素放電の和として脳波を解析する時には,それが生体の電気現象の特性として電場の拡がりの大きい事が問題になる。全く理想的には生体の活動としての連関の拡がりと,同じ位の電場の拡がりがあると随分便利であるが,実際にその様な事実はなく,我我は現に一つの細胞のelectrical activityを知る以外には,脳皮質をなす6層のelectrical activityすら区別しえない。併し我々はこの事に連関して,脳のactivityに関して反省してみる必要がある。脳の綜合的な働きは,脳の活動の本態であると同時に吾人の追求の対象である。この綜合が単一の部位によるものでない事と,単位の時間によるものでない事はScherrington等によってもintegrative actionと呼ばれる様に全く明瞭な事実であり,脳活動が要求する一定の時間と,それが成就するために参加する皮質空間の神経要素群とは,脳研究において適当なる測定時間(後述)と脳電位変動の適当なる導出領域をきめるものであろう。ここに適当なる時間による時系列解析が示す統計量の意義があり,又電場の強さの広がりが大きい事は皮質のある部分から導出した空間的な平均量を示す可能性をあたえるものとして意義がある。更に大きな導出面積の示す電位変動は,内包するより多くの要素放電の平均を表わす事になり,その面積に比例する個数の大きさと,平均の確かさを示し,大きな測定時間による分析も同様に平均の意義を強くする。問題は皮質内の神経要素の周期性興奮を,それが平均と分散によつてあたえられる時に,いかにして脳波の上に再現するかという事である。
時系列解析で常に問題となる定常性の概念は,具体的には分析時間をどの位にするかに関係がある。併し脳には,そしてそれが表わす脳波には,一定の定常時間なるものが存在するのであろうか。これらの問題は既に今堀,寿原,佐藤等によつても頻りに論議されたのであるが,ただそれは分析時間の問題だけできめうるものではないと思われる。定常時間は生物学的にあると考えられる時間であり,分析時間は,研究上の操作と,対象によつてきまる時間である。脳波はそして,通常数秒以上の周期のものは,含まぬと考えられているし,後述するように,その実用性の面からはむしろ1cps以上高々1000cps迄の現象である。特別な場合,周波数spectrunのより微妙な性質を云々するために数秒の分析時間が必要とされても我々にはより簡便な表現で,より多くの時系列解析が望ましく,且"より微細な"値の生物学的意義を考える時には応々に時間的に"より微細な"現象を落して了う可能性がある。このような意味では分析時間はむしろ短い方がいいと思われるし,1乃至数秒のそれによつても我々は充分変化してゆくものと,変化しないものとを見分ける事が出来る。この変化しないものを目標にした時に,その変化しない時間が実はその周波数成分の定常時間だと考える方がいいと思われる。
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