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■マインドコントロール論と宗教集団 批判
オウム事件以後,宗教集団から取り返しのつかない害を被った人たちの立場について,それまで以上の注意が促されるようになったのは理の当然である。宗教法人法の改正によって,宗教集団に対して法的にもいくぶんかの規制の強化が行われた。しかし,憲法によって信教の自由が保証されており,そのことに対して一定の合意が存在することも確かである。宗教集団に対して度を超えた統制を行うことは,国民の精神の自由を侵す恐れがある。そこで信教の自由を前提とした法制の枠内で,宗教集団の及ぼす害悪についてどう取り扱っていくか,また法的取り扱いに限度があるとして,それを超えて宗教集団の被害者に対する社会的責任についてどう論じ,是正を促していくかが大きな論題となる。
宗教集団が作る社会環境が個人に対してどのような影響を及ぼすか,特にどのような害悪を及ぼす可能性があるかという問題はいくつかのレベルに分けて論じる必要があるように思われる。他者への明確な危害の有無を論じるレベルが法的倫理的(ここで「倫理的」というのは法が倫理に基づくものであるかぎりにおいて狭くコード化できる倫理性を指す)なレベルであるとすれば,直接に刑法的責任は問いにくいが市民の心の自由や平安を脅かすかどうかにかかわる道義的社会生態論的(広い意味で倫理的ではあるが,法に具体化されるような明確な倫理コードとはなりがたいような倫理性のレベルを道義的と呼んでいる)なレベルがある。この稿では後者のレベルの問題の重要性を指摘し,宗教集団に対する道義的社会生態論的批判の方向を切り開くことを目指している。そのことによって,ここで述べるような意味で危険性の高い宗教集団の行為に対して,法的告発とは別に,世論の合意を形成していくことが可能になるかもしれない。また,野放図な「信教の自由」ではなく,節度ある信教の自由のあり方を構想していけるかもしれない。
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