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研究と報告
対人恐怖症における愛と倫理(その3)—「罪」から「善悪の彼岸」へ
Eros and Ethos in the Case of Anthropophobic Patients, Part 3 : From Guilt to "Beyond Good and Bad"
内沼 幸雄
1
Yukio Uchinuma
1
1帝京大学医学部精神神経科
1Dept. of Psychiatry & Neurology, Teikyo Univ. School of Medicine
pp.289-301
発行日 1974年3月15日
Published Date 1974/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202157
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I.はじめに
これまでの報告において,「恥」から「罪」へと対人恐怖症の病態変化を追跡してきた。ここまでくれば,つぎの段階として「善悪の彼岸」がなくてはならない。この最終的段階にまで到達した症例として,文学者の三島由紀夫が挙げられる。
私は三島の作品の中に対人恐怖症からパラノイアへと彼の病跡を辿ってみたのであるが,その後平岡梓の『伜・三島由紀夫』3)を読んだけれども,基本的見解の変更を迫られることは何もなかった。父親自身が認めていることでもあるが,父親必ずしも息子を十分に理解しているとはいえないという読後感は否みがたく,「例の大声笑いをするまでは能面のように無表情な男だった」といった貴重な証言がいくつかなされていて大変面白く感じたけれど,これらはすべて三島の作品の中に描き出されている事柄であった。ある意味において身近であればあるほどに相手の気持を理解しがたくなるのではないかということは,患者の家族と接して痛感させられることであり,またそうだからこそ家族とはありがたい存在ともいえるのであるが,その意味では,最も身近なおのれ自身を認識する自己認識こそ,最も困難にしてかつ危険な課題だといわねばなるまい。
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