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研究と報告
対人恐怖症における愛と倫理(その4)—ニーチェの病跡学(続篇)
Eros and Ethos in the Case of Anthropophobic Patients, Part 4 : Nietzsche's Disease
内沼 幸雄
1
Yukio Uchinuma
1
1帝京大学医学部精神神経科
1Dept. of Psychiatry & Neurology, Teikyo Univ. School of Med.
pp.369-378
発行日 1974年4月15日
Published Date 1974/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202164
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I.はじめに
第1報と第2報で対人恐怖症の精神構造について論考し,さらにそれに基づいてニーチェの病跡を三島由紀夫の場合と比較しながら,主として精神病理学的視点から把えたのが,第3報であった。ニーチェの病跡学的考察において心理学的解釈を先行させたのにはとくに他意はないが,あえていえば,いままでのニーチェの病跡学的研究が進行麻痺説という身体医学的視点にあまりにも偏りすぎていたからである。たとえ1888年末のニーチェの精神的崩壊が進行麻痺であったにしても,ニーチェの精神状態を対人恐怖症性パラノイアとする解釈は成り立つのである。というのは,脳器質的疾患とパラノイアとが合併することは,あり得ないことではないからである。とはいえ,彼の脳器質的疾患が進行麻痺であったと,単純に割りきれないことはいうまでもなく,また,さまざまな症状をできるだけ単一の疾患に還元していくべきであるという医学の一般原則に従うならば,合併説をとるからにはよほどの慎重さを必要とする。いったい,そもそもニーチェは進行麻痺であったのか。
いままでの病跡学的研究ではニーチェ進行麻痺説が主流を占め,優れたニーチェの理解者であるヤスパース21)の用意周到な批判にもかかわらず,その説が多くの人たちによって無批判に受け入れられていた。とすれば,パラノイア説をとるからには,進行麻痺説に対する私の態度を明らかにしておかなくてはなるまい。それにまた,パラノイア問題自体が現代の精神医学では不当に軽視されており,とくに日本では無きに等しいのが現状である。以下,この2つの問題について第4報と第5報で私の見解を示しておこうと思う。
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