Japanese
English
研究と報告
森田療法における諸問題—治療者の基本的態度を中心として
Some Problems on Morita Therapy
藍沢 鎮雄
1
,
大原 健士郎
1
,
増野 肇
1
,
宮田 国男
1
Shizuo Aizawa
1
,
Kenshiro Ohara
1
,
Hajime Mashino
1
,
Kunio Miyata
1
1慈恵会医科大学精神神経科
1Dept. of Neurol. & Psychiat., Jikei University School of Med.
pp.811-815
発行日 1968年10月15日
Published Date 1968/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201394
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I.はじめに
精神分析的な精神療法は,治療者・被治療者間の人間関係を離れては成り立たない。当然のことながら,その構造や治療過程も治療者・被治療者関係を中軸として論じられる。しかし,森田療法においては,従来治療的人間関係を明らかな問題意識をもつて主題にすることはまれであつた。むしろ,人間関係を介して起こる治癒の過程よりも,作業や自然とのふれあいなどをとおして飛躍的に起こる体得の次元が重視された。換言すれば,治療者・被治療者間の言語的なcommunicationでは到達できない,言葉を超越した地点のみが強調されてきたといえる。しかし問題はこの洞察の次元にいたるまでの過程にこそあるのであり,その過程で治療者・被治療者間の人間関係はどうか,治療者はどのような役割をはたすのか,ということに存するはずである。
この問いに対して,治療者はただ被治療者を臥褥させ作業過程に導く存在,いわば,一つの治療的環境を整えるだけの存在にすぎないという解釈もある。いつてみれば,治療者は一つの治療の場の雰囲気調整者とでもいうべき役割をはたすにすぎず,極論すれば適当な治療の場さえあれば,治療者不在のまま,リモート・コントロールも可能であるということになる。その一方,森田療法における治療的人間関係は日本文化の上下の身分秩序の伝統による,権威—依存関係のうえに成立するという説もある。となれば,リモート・コントロールどころか,治療者の強力な介入が絶対必要となつてくる。
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