特集 病識〔精神病理懇話会講演および討議〕
病識
懸田 克躬
1
1順天堂大学
pp.95
発行日 1963年2月15日
Published Date 1963/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200524
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われわれが日常の臨床的な活動のさなかにおいて,たえず,しかも,気軽に使用しながら,さてふりかえつてこれをまともにとりあげてみると,非常に重大な問題を中につつんでいることばがあるものである。「病識」という言葉は,そのようなもののひとつであると思う。
病識の問題は疾病に関する知識の問題ともとれるが,同時にある意味では疾病を媒介とする深刻な自覚の問題もあるなどいろいろの問題,考えようによつては,深淵をのぞかせるような底の問題であつて,単にことばの定義を厳密にしてみるということだけでは片づかないものがある。むしろ,概念規定が不明確なのに,そのように定義なしに,しかもある漠然たる理解のもとに用いられているという事態が重要な「あるもの」を暗示しているということさえいえる。最近,PickやMayer-Gross以来のこの病識の問題が,また,ときどきいろいろな見地からとりあげられはじめていることは精神医学的人間像が,再びかえりみられはじめていることとあわせ考えて,意味のあることだと思う。大分前にわたしは,自己を映し一映される関係の障害としての病識を考えたことがあつたが,この懇談会において,病識が,現象学的に,また,精神分析学的見地に,または脳病理の立場からと,それぞれ異なる立場から4人の講師によつて論ぜられることは興味ぶかいものだと感じている。もちろん,問題は提示されたままで解かれたとは思わないが,それは当然といえば当然のことでもある。
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