Japanese
English
研究と報告
文の失読について
On the alexia of sentence
井村 恒郎
1
,
木戸 幸聖
1
,
松山 巌
1
,
阿部 洋太郎
1
T. Imura
1
,
K. Kido
1
,
I. Matsuyama
1
,
Y. Abe
1
1日本大学医学部精神神経科
1Dep. of Psychiat., Fac. of Med. Nihon Univ.
pp.759-765
発行日 1961年9月15日
Published Date 1961/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200369
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症候論の立場から,失読を字性失読(literale Alexie)と語性失読(verbale Alexie)に分けて考察するのが慣例になつている。前者は個々の字を読むことができない場合,つまり字の水準における失読で,後者は字は読めるがそれを綴つた語は読むことができないという語の水準における失読である。このいわば"言語学的な"見かたの分類は,失読症状の心理的ないし生理的機制を示すものではないから,種々問題がある。しかし,実際上の便宜のためであろうか,広く用いられている。
この2つに加えて,近ごろAjuriaguerra et Hécanは,同じように症状論的にみた失読の別の1群として「文の失読」(alexie de phraseを区別できるといつている。これは文の水準における失読で,字や語を単独にみせれば読むことができるが,文になると読みくだすことができず,文意も正しくとらええない場合である。そして,主として文中の名詞や動詞を読み,前置詞とか接続詞などの文法的な役割をはたす部分を無視したり読み誤つたりする。彼らによると,この文性失読は,その程度や様態においては多種多様であるが,文の読みにさいしてだけあらわれる失読という点が共通しているという。彼らのように「文の失読」という言葉は用いていないが,失読の回復過程において,同様の現象たとえば,文を読むにあたつて接続詞や前置詞などの「文法的な部分」の失読や錯読のあらわれることは,LangeやCritchleyなどの綜説的な論文のうちにも記述されている。
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