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編集後記
T. A.
pp.608
発行日 2013年6月15日
Published Date 2013/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405102483
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今月号をあらためて通読して,本誌の性格からして当然ではあるが,掲載論文のカテゴリーと内容におけるバランスの良さを再認識した。掲載されている論文のほとんどが,診療グループ以上の精神科医の集合体における衆知と経験から生み出されていることが分かる。いかなる報告であっても,編集委員会の評価に耐えるには多くの同僚・先輩方との切磋琢磨の結果としての成果物というレベルに達していなければならない。
若い頃,先輩から「困り抜いた症例だからこそケースレポートになる」と聞かされた。「困り抜く」にも意味は幾つかあろうが,多くは診断であり,治療・治療関係であろう。本誌の症例報告の多くが,困り抜いた結果,あるレベルの頂を極めたという内容を持つと言っても誤りではないだろう。それだけに,当初は何処で見誤っていたか? 何が契機で見直したか,といった記述こそ有難い。「どうせいつもの…病」という診療態度に,ピシリとばかり活を入れてくれるからである。次に診療グループにはそれぞれの志向性や好みがある。ややもすれば,どこも似たような精神科臨床集団になりかねないのに,実は個性的な存在であり得る原因はここにある。グループが,これに沿ってケースを蓄積し,整理していくところに臨床知が生まれる。ここで若き臨床家にとっては疾患単位というまとまりが見えてくるのと同時に,多彩な個別性というものも分かってくる。そしてこの作業とケースレポート作成とは表裏の関係にある。このような2つの研究姿勢がバランス良く貫かれることで,グループ内において個々の医師の診断精度が着実に向上していくと思われる。
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