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はじめに
2004年12月に発生したインド洋沖地震・津波,2005年8月の米国ニューオーリンズにおけるハリケーン・カテリナ,そして同年10月のパキスタン北東部の大地震による物理的被害と犠牲者の多さは世界中の耳目を驚嘆させ,遅々として進まぬ災害復興の過程では「災害精神医学」の重要性が改めて認識された感がある。日本は,その位置や地形,地質や気象などといった自然条件からさまざまな災害が発生しやすい国土になっており,現に毎年のように自然災害によって多くの人命や財産が失われてもいる。国内的には2000(平成12)年に最終改定された災害対策基本法において,「災害とは暴風,豪雨,豪雪,洪水,高潮,地震,津波,噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害」が災害の定義として明記されたものの,心理的後遺症への支援は,こうした法律の中で具体的に盛り込まれているわけでないのも事実である。
筆者は,永年長崎に生活していて社会精神医学の中で災害精神医学研究に取り組み,幾つかの知見からアエラムックの「精神医学がわかる」において災害精神医学の発展の重要性を一般に対してもアッピール17)していた。特に長崎は人為災害の代表である原子爆弾被爆・被災以外にも,「長崎県の災害史」14)が出版されるほどに,この約50年間に表1のように顕著な自然災害に見舞われてきている。我々は,この20年余り,原爆被爆者をはじめとして,その都度精神医学・医療的視点に立った支援を少しずつ行ってきた27,33)。
ただ,原子爆弾被爆・被災は普通の人為災害でなく,多くの市民が一度に殺傷された(あえて長崎に限ってみても被爆による直接の死者73,884人,負傷者74,909人),いわゆるジェノサイド(genocide;大量殺戮)という事態は全く非人道的であって,国家補償の対象となってきたテーマでもある5)。すでに60年を経過したとはいえ,被爆者あるいは同体験者が身体的・精神的な後遺症にいまだに悩んでいることは明らかである。当初から,心理的影響の大きさはうかがわれながらも学問的関心が寄せられることは少なく,肉親との死別などによる葛藤を表出しないでいる被爆者の有り様を「心理的締め出し」といった心理的防衛の体裁で紹介したLiftonの著書などを見るにとどまっていた12)。
長崎発信の文学作品の中で,自ら被爆者である林京子(第73回芥川賞受賞「祭りの場」,昭和50年度上半期)は見えない恐怖の語り部として,永年原爆被爆にこだわって作品を著してきており,最新の作品「希望」3)では,原爆投下時に長崎市郊外に疎開していた女学校生の貴子が母とともに,翌8月10日長崎医科大学の教授であって行方不明の父を捜しに行き,十数個の白骨の山の中で1つ離れてあった頭蓋骨を「先生の頭の形によく似ているから」と父の愛弟子に言われ,そして愛用の煙草ケースでようやく確認できたという悲惨さを表現する。さらに,貴子自身が兄のようにあるいは父のように慕ってきた医師・諒のプロポーズに対して「貴子の心は揺れ動いていた。プロポーズされた動揺ではない。結婚,の二字を見たとき脳裏に浮かんだのは,教授を探しに行った日の,研究室の光景である。焼け跡に父親の頭蓋骨を抱いて立った,自分の姿である。あれからの人生は何彼につけて,研究室の焼け跡に舞い戻る。…そのたびに爆心地の色濃い残留放射能を吸い込んだ二次的『被爆者』の貴子に引き戻されるのだ。被爆者の女の結婚は不可能と噂されて,子供が産めない,産んだにしても障害の心配がある,と不利な条件が広がっていた。…いつの間にかこれが常識になって,貴子も,自分たちは結婚不適格者なのだ,と対等な結婚を諦めていた」と頑なに拒否してしまう。やがて,諒の誠意が通じて結婚するものの,子どもを産もうとはしない。しかし,「強い貴子の語気に,九日にこだわる貴子の傷が思っている以上に深刻であること,産み出す生命との対局に,浦上の焼け跡に,大八車の車輪のように主軸に頭を向けて,放射状に積み上げられていた死があること。こだわり続けてきた禁欲日を自らの意志で解いて命を創造する,そしてそのことが,貴子自身の再生であることを,諒は知らされた。草一本生えていない浦上の野に立たれた神父さまが,神の御国をみた,とおっしゃったらしいの,お話を耳にしたときわたし許せなかった,一瞬に消されてしまった数え切れない命と浦上の街が,どうして神の御国なのか,破壊された悪意の荒野でしょう,生命を生み出せないゼロの世界なの。焼け跡に立って胸に刺ったのは,人の悪意の底深さだった。いまは少しばかり神父さまの気持ちが理解できるの,神さえ恐れない人間の悪意と不遜。万物すべてが声をなくした,マイナスにしか思考不可能な出発点の,ゼロの,神父さまは怒りを超越した透明な心でそのゼロの荒野に佇まれた。絶望の哀しみの末に辿り着く再生への慈。極限におかれた人間の苦しみをみせられてしまうと,優しくならざるを得ないのね,その人たちの苦しみをわたしが負っていくためにも,みせられてしまった苦しみから逃れるためにも,優しくなるしかないの,無垢なるものを赦せるように」と変わり,「諒の目に涙が溢れた。みたことのない九日の荒野が瞼の内に広がって,そのなかに立ちつくす貴子の姿が浮かんだ。一人で頑張ることはないんだよ,一緒に歩いていこう,心の内で貴子に語りかけて,諒は妻を強く抱いた(了)」となる。
これを文学作品だからとして納得するだけでは済まされないであろう。いかに被爆者の苦悩が奥深く永い間漂っているかは,当事者と同様に,あるいは同程度には理解できないにしても知っておくべきである。最近発表された著書「原爆体験」2)の中には,日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協と略称)が行った「原爆被害者調査」(1985)における「心の傷」の深さが,今度は広島・長崎の数多くの被爆者による生々しい直截的な証言として,社会学者の手でまとめられていて衝撃的である。
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