巻頭言
SAS診療に奮闘した日々
栂 博久
1
1金沢医科大学呼吸器内科学
pp.489
発行日 2007年5月15日
Published Date 2007/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1404100868
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2003年2月,山陽新幹線の運転士が居眠りをして列車が駅の手前で停車し,原因が睡眠時無呼吸症候群(SAS)であることがわかった.わが国でSASが一般のマスコミにはっきりニュースとして載ったのはこれが初めてであろうと思われるが,引き続き飛行機の機長の事故とか,最近では海難事故の航海士もSASであったと報道されている.いずれも幸い大きな人身事故にはつながらず,はからずもSASという疾患が広く世に知られることになったのは不幸中の幸いと言うべきことであった.
我田引水のようでやや気が引けるが,わが国で初めてSASの症例報告をしたのは当教室であった(北川ら:日本胸部疾患学会総会,広島,昭和55年4月11日).呼吸器内科に入局するとたいがいSAS患者の受け持ちが当たり,当たったら2,3日は徹夜の検査というのが相場であった.Polysomnography(PSG)などという洗練された検査装置はもちろんまだなく,サーミスタや胸腹部のバンドは手作り,パルスオキシメータはまだなくイアオキシメータ(?)を装着し,クラシックなペンレコーダで記録という状態であった.当時上司であったドクターの着眼に敬服するが,既にSAS患者の睡眠中に鼻から気管支ファイバーを挿入し,「どこが閉塞しているのか」を観察していた.この記録は今でも講演などでずいぶん役に立っている.
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