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能力主義の導入が喧伝されるようになって久しい.何事にも均一性が求められてきた時代が終焉し,やがて個々の能力に見合った処遇を求めようとする価値観への変遷は極めて自然であり,個性を柔軟に受け入れる組織は活性化する.医学の分野において,個人の能力を評価する基準のひとつは研究論文であり,その質はインパクトファクターによって規定されるという考えがある.このため,論文をできるだけインパクトファクターの高い学術雑誌に投稿することが推奨され,結果としてそのほとんどが世界的に通用する英語で表記された刊行物に集約されることとなる.しかし,日本語を母国語とする我々にとって,外国語(英語)による論文の作成には多くの時間と労力を費やすのが常であり,科学情報伝達手段に限っていえば,語学修得に翻弄される現実は本意とするところではなかろう.
ある雑誌のコラムで作家の森 博嗣氏は,大英博物館に展示されているロゼッタストーン(1799年にエジプトのナイル川河口で発見され,古代エジプト象形文字解読の手がかりとなった石碑)を見学して次のように述べている.ロゼッタストーンを最初に発見したのはナポレオンだったが,フランス軍はこれを発見しても,持ち帰ることはせず,その拓本を取って,つまりコピーをして,文字情報だけを持ち帰って研究したのだが,イギリスがそのあとでロゼッタストーン自体を持ち帰ったという.イギリスが持ち帰ったのはロゼッタストーンというメディアであり,フランスは情報というコンテンツを持ち帰った.この差はとても大きい.「メディアがどのようなものであろうと,それは些末な問題であって,コンテンツこそに不変の価値がある.当時はイギリスよりもフランスの方が明らかにアカデミックで文化的であった」注).この話を医学雑誌に置き換えると,英文誌は所詮メディアという文字媒体に過ぎず,重要なのは掲載された論文のコンテンツ(中身)であるといえるのではなかろうか.
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