Coffee Break
「見る」の周辺 3.デッサン──見えてくるもの
長廻 紘
pp.1614-1615
発行日 2015年11月25日
Published Date 2015/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403200480
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われわれの見る世界は地と図からなると前回述べた.全体が地で,そこで注意を引くものが図である.地のなかの何に注目すべきかは地のことが分かっていないと難しい.広い地に関する深い理解がないと図は見えてこない.臓器という地がよく分かったうえで図(病変)が浮かび上がってきて診断が成り立つ.内視鏡で見るとき,胃粘膜という地はそのままではノッペラ坊であるが,ある部分が「オヤ,他と違うぞ」という印象を与え,図として浮かび上がってくる.最初に赤い斑点と見えたものが図となって,ビランとか癌であるといった判断・診断が下される.色は地から浮き出て図となる,色は診断につながるという意味で重要である.
あるのは赤い斑点という知覚だけで,いつ誰が見るかというその知覚の生々しさはその時だけの一期一会的なものである.体験される感覚の生々しさは,しかし,実在しているわけではない.事実とは対象の知覚(実在)と感覚という体験(非実在)の全体である.赤い斑点に気づいたら(注目),その周辺を注意する.そうすると,癌の場合は特有の辺縁像が見えてくる.不安定な色よりも安定している形の方がより客観性を有する.IIcの診断の場合,主観のなかで赤いという不安定な色より,ヤセ・太まり・虫食いなどといった安定した形のほうが診断をひきよせる.さらに,注意したもの(赤い斑点)に注力すること(色素やヨードを撒く,生検を行うなど)で診断は完成に近づく.病変が小さくなればなるほど形の変化も小さくなり,遂に移ろいやすい色の変化だけになる.だから,小さい病変の肉眼診断は難しくなる.その色もなくなり図のない地だけの胃粘膜となると,注意を引かず診断もできなくなる.
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