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人が陥りやすい陥穽は,自分にはなんでも分かっている,見えているという思い込みである.人は見たいものしか見ない,見えない.人の心というものは馴染みないもののショックを和らげるために馴染みあるもの,ありきたりのものの姿かたちに寄り掛かる傾向を持つ.15〜16世紀,新大陸アメリカへ行ったヨーロッパ人は新奇な事物をよく観察し,細大漏らさず記録に残している.しかし,結局彼らが見たいと思ったものだけを見る,予測しなかったものは無視するという結果に終わっている.唐時代の中国が征服したヴェトナムに関する記録でも同じであったという.南方へ行った官吏は「生態学的語彙のとりこ」になって,既知の語彙でしか記録していない.見たいと思ったものだけしか見えなかった(JHエリオット『旧世界と新世界』).
手術や解剖の経験から,胃癌は大きな魂ないしは潰瘍と思い込んでいる人には早期胃癌の形は思い描くこともできず,現に見ても癌とは見えなかった.欧米の教科書で学習して,大腸腫瘍はポリープなどの隆起と思い込んでいた人には平坦陥凹型は見えなかった,既知の語彙でしか見なかった.それらに気づいたのは先入観なく観察していた若い医者たちであった.経験をつむことは経験という殿堂に住むことである.殿堂に住むのは王様で,王様にはなにも見えない.裸である.愚かな人には愚かなために,理知的な人には理性的なために,経験不足な人には経験不足のために,経験豊富な人には経験豊富なために見えないものがある.大勢の人が集まって話している場において,自分の仲間の姿や声はよく見え聞こえるが,関係の薄い人の姿は見えにくい.遠くにいても知人はすぐ分かる(カクテル・パーティー効果).見つけやすいものを見つけて喜んでいるとき,そのことによって実はもっと大事なものが隠れてしまっているかもしれない.
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