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眼を開ければいつでもどこでも同じようにものは見える,人は自分の眼でみていると思いがちである.じつはそうではない.われわれのものの見方は歴史的,文化的なものの影響のもとにありエピステーメー・文化拘束性という.目の前にものはあり人はそれを見る.その見ているものはありのままであると見ている人は思っている.しかし,考えてみればすぐわかることであるが,AがみるXとBがみるXは同じではない.AB両者がXについて話すことあるいは書くことは寸分違わないはずであるが,実際には微妙にときに大いに違っている.感覚に判断が加わって認識が生じるからである.見るということは単に受動的なことではない.人は常に行為としてものを見る.眼を動かし身体を動かして見る.すなわち全身で見ている.その全身は生物的にも歴史的にも異なっている.そうであるからには同じXを,違った身体で見ているAとBでは違って見えるのが当たり前である.われわれは身体的,歴史的な制約のもとにものを見ている.身体は各人が創りあげた道具である.
視覚の世界は単純に見えて決して単純ではなく,認識はさらに複雑である.認識に通じるためには多大の時間,労力,知識が必要である.優れた芸術,思想は認識にさらに別の視点を加える.現代芸術や現代思想を経験した後では,世界はそれまでと違った風に見えるはずである.現代人とそれ以前の人は別のエピステーメーのもとにある.ドイツやソ連の全体主義を先取りしたカフカの小説のように,優れた芸術は現実を先取りする.初めて見る人に,きみょう奇天烈に見えるピカソの絵画(裏と表を同一の二次元平面に表すなど)を経験したのちでは,われわれの空間の捉え方もそれ以前とは違ってくる.カフカやピカソに世界は本当に「そのように」見えたのである.画家が描くのは,具象か抽象かを問わず,とにかくそのように見えたのである.見えないもの,頭だけで捏造したものは絵画であれ小説であれリアリティーがなく他に受け入れられることはない.人に先駆けてそのように見えるのが天才というものである.
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