--------------------
編集後記
丸山 雅一
pp.1404
発行日 1993年11月25日
Published Date 1993/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403106330
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
臨床医学が学問か否か,という問いに議論があることは今も昔も変わらない.ただし,私見によれば,学問とは学問の方法論とルールに従って各自が生産的と思える仕事をなすことであり,その結果が世のため,人のために良かれとする動機は必要ではない.そのような動機があるとすれば,おそらくその人の仕事自体が偽善である.人を学問とか,研究に駆り立てるのは,あくまでも,知的な興味であるべきだ.本号の企画を練り始めたときから,そのような書生っぽいことを考えていた.
知的興味がないところには,進歩がない.これは,自明のことだ.しかし,優性遺伝の形をとる消化管ポリポーシスを病む患者および家族(血縁者と言うべきか)の内なる世界は,業である.業とは,進歩も展望もなく,癒えることのない哀しみである.そして,医師として対応する側は,疾患を理解しえても,その哀しみを理解することは不可能である.
Copyright © 1993, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.