-------------------- 
                        
                        
                
                  
                  
                  
                  
                            
                                    
                                    
                                    
                                    
                            
                            
                
                
                
                            
                            
                  
                            
                                
                            
                        
                
                
                
                            
                        
                
                
                            
                            
                            
                  
                            
                                    
                                    編集後記
                                    
                                    
                            
                            
                        
                
                
                            
                            
                                
                                    
                                        
                                            
                                                武藤 徹一郎
                                            
                                            
                                        
                                        
                                        
                                        
                                            
                                        
                                    
                                
                                
                                    
                                
                            
                        
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                            
                            
                        
                
                            
                            
                        
                
                pp.828
                
                
                
                  
                  
              
              
              
                  発行日 1999年5月25日
                  Published Date 1999/5/25
                
                
                
                DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403103074
                
                - フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
大腸sm癌の内視鏡的摘除のみによる治療がどこまで可能であるかという問いは,ポリペクトミーが開始されたときからの大きな課題であり,各施設の経験症例が少なかった1980年代から計3回にわたってアンケート調査によってその答えを出そうという試みがなされた.細かい組織学的所見はさておいて,浸潤した癌の容積が危険因子の1つであることには異論はないが,日常診療の場では浸潤の深さでその判定が行われる.初期のころのmassive invasionという基準がsm1~sm3に3分類され,更にsm1の深さをどう規定するかという問題が論じられてきた.本号で少しは意見の幅が縮まるかと思われたが,どうもその期待は裏切られたようである.sm1の浸潤値として500μmから2,300μmの差がみられるし,sm癌すべてに追加腸切除が必要という考えとsm2まで内視鏡摘除の適応を拡大できるという考えが示されている.これでは意見の幅の縮小どころか,ますますその差が明らかになったとしか言いようがない.これは研究ではなくて臨床の問題であるのに,自己主張ばかりでは読者はますます混乱するばかりであろう.

Copyright © 1999, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.


