アメリカ・ブラウン大学医学部在学日記・16
ブラウン大学に入るまでの生い立ちと経緯
赤津 晴子
1
1アメリカ・スタンフォード大学病院内科
pp.189-191
発行日 1996年1月10日
Published Date 1996/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402904931
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少女時代に「生命」に興味を持ち
小学2年生のとき,おじぎ草の種を手に入れて,リビングルームの窓辺に鉢を置き,その成長を毎日楽しみに観察していたことを思い出す.おじぎ草はどうして触られるとパタパタと葉を閉じるのか不思議だった.「まるで生きているみたいだ」と思ってから,「あっ,そうか,おじぎ草は生きているのか」とハッとしたものだ.そのときの絵入りの自主観察記録『私の大事なおじぎ草』の中には,触らなくても,夕立がきて暗くなると,おじぎ草は葉を閉じることなどが驚きをもって綴られている.
田園調布双葉中学校,高校では生物が大好きであった.特に遺伝学が面白いと思った.漠然と生物学か医学を将来勉強してみたいな,と思いながらも,しかし受験なしで聖心女子大学に入れる推薦の話があったとき,それを一番喜んだのは両親であった.家は姉も従姉妹も叔母も聖心系であったので非常に自然な方向であった.私は素直に敷かれたレールの上に乗った.
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