連載 患者さんは人生の先生・11
“治療”が“善”とは限らない
出雲 博子
1
1聖路加国際病院内分泌代謝科
pp.2229
発行日 2014年11月10日
Published Date 2014/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200152
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われわれが研修医だった35年前は、癌は不治の病と考えられており、なかでも膵臓癌は発見が遅れがちで手術もできず、発見時に余命2〜3カ月の宣告をしなければならなかった。しかし、その後の抗癌治療の進歩はめざましい。先頃、手術不可能な膵臓癌が化学療法により径5cmから1cmに縮小した症例を経験した。この50歳台の男性は退院後、糖尿病外来に元気に通院している。乳癌などは近年、一次的に抗癌剤による脱毛などで苦しむことはあっても、完治する患者さんも多い。
しかし、抗癌剤の副作用は厳しいものがあり、癌そのものより患者さんを苦しめることも少なくない。私が診ている橋本病の75歳の女性は5年前、検診で乳癌を発見された。まず化学療法と放射線治療にて腫瘍の縮小を図った後、乳房摘出術が行われた。ある日、外来受診時、患者さんは大変つらそうに、脱毛と倦怠感、手のしびれなどを訴えた。甲状腺値は正常であったので抗癌剤の副作用と考えられるから、それを処方している医師に話してみるように勧めたところ、「乳腺科の先生は忙しいし、薬について不満は言いにくい」という。私は、「乳癌をもっているのは医者でなくあなたであるし、治療についてはあなたが決める権利があるのですよ」と背中を押した。次回の私の外来再診時、患者さんが、「乳腺科の先生に話したら、薬を調整してくれました。その後、大分楽になりました」と明るい表情で話してくれた。
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