視座
長命は善か
天児 民和
1,2
1九州大学
2九州労災病院
pp.877
発行日 1974年11月25日
Published Date 1974/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408908488
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先日九州大学の池田学長にあつて雑談をしていたら学長がこんなことを言われた.「この間ある会合でお隣の文学部の先生が一体お医者さんは人間をいくつまで生かそうと考えているのですか」と質問せられた.さあ何と答えてよいか一瞬戸惑つたということである.
現在の臨床医学の救命の技術はあらゆる可能性を動員して強力に行われている.そのために人間の寿命はたしかに長くなつた.私の父が40年前に亡くなつた.満60歳であつた.その時に60歳まで長生きせられたのだからという皆様の挨拶を聞いてそうかなあと思つたが,今日では60で死亡することは若死である.しかし人間の命を長くすることが果して善と言つていいのであろうか.私は折々その壁につきあたつて当惑する.今は分業の世の中である.医師はただ救命にだけ努力すればよいのである.あとの問題は社会科学者が処理するべきである.そう割り切れば甚だ簡単ではあるが,では誰が社会科学者にこの問題を提議するべきであろうか.飯野先生もこれと同じようなことをどこかに書いておられたが,科学の進歩と人類の福祉,幸福というものがどこかでくい違つてゆくのにローマクラブのメンバーではないが不安を感じざるを得ない.
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