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近頃獨善と云う熟字が新聞紙上などにはさかんに使用されている其意味は獨り合點とか又獨りよがりとか云う風に解釋すれば多くの場合當てはまるように読めるので特に不思議にと思わず又其文章をしかく理解している次第たが善と云う字義はをかしなものになつてしまうようだ今日我々の所謂民主々義と云うものを平易に端的に説明すると近親は勿論知友間猶一歩進んで第三者にも平等和協的で思いやり同情を忘れぬ心構えで獨りよがりと云うような淺墓な意味ではない道徳上からも觀察して立派な熟字であるべきだが新聞紙上などで毎日散見する各種方面の記事に使用されている意味を解釋すると個人の行動言論が獨善的である怪しからぬ又今回施行せんとする法律政令は民意を軽んじた獨善案であるから改正すべし更らに出直すべきだと云つたように獨善の熟字を以て批判しているのが多い即ち民主々義でないから宜ろしからずと云つた意味にとれる此に至つて私は此熟字の眞字義が益々腑に落ちぬので簡野道明著字源を繙といて見た獨善己のみをよくす尹文字爲善使人不能得從此…也と出ているこれを判斷すると或る人が善き事を1人で爲したこは其人のみが爲し得る善事であつて他人にはそれに追隨して爲し得られぬ善である畢竟手の屆かぬ高嶺の花である清淨無垢の神樣の世界でのみ應用される熟字である之を現實の國際場裡などから考えれば1秒時でもそんな時はない人間下界で獨善人とはと云えば各界の偉人でノーベル賞受領者の如き人を措いてはあるまいが然し私は我醫界に於て己のみをよくして人の追隨し得ぬ所業を爲すものは決して皆無とは云われぬ例が見つかるのである先づ魂より初めよた私が其1人であると名乘を上げれば読者の多くはなんだ落伍老髦醫の笑わせる事よ汝は沈默すべきものなりと叱咤罵詈が湧きおこる事を承知の上で以下悠々と其根據を陳述しようと思う。
私が陸軍から大學院學生として歸國醫科大學の皮膚科へ其專攻を命ぜられて明治29年再入學した時分今から大凡そ4,50年前の頃であつたから當時には現今のように文化施設と云う辭さへ果して使用されてはいなかつたであろう文教方面でも文部大臣は伴職大臣で一番勢力がなく並び大名として据えられたし厚生と云つたような方面の施策なぞには手が廻らぬ筈で衞生を管掌する最上の御役人と云えば内務大臣の下に衞生局長が置かれていたのだ當時は長與專齊(又郎博上の親父)と云うような達識の人が敏腕を揮われ長谷川恭と云う果斷豪腹の人が据えられたと云え日露戰役の直後始末が山積している時であるのだから以上のような能吏と雖も末節の小事にまでは眼光は徹底せぬし一般民衆の生活を今日から比較すればお話しにならない低い程度のものであつたし自然共衞生志操なと先づ無頓着と云つてよかろう其現况を想像すれば中流生活者の中にも所謂疥癬(ヒゼソ)を疾むでいても割合平氣で何か塗附藥を附け上等の部で平気で其手に繃帶を卷き管掌事項に旺掌しているものの如きは實に曉天の星であつたのだ最も疥癬は傳染する皮膚病であるから接觸せぬように注意はしていた但し表皮下に虫がいて之れが表皮下に喰い入り移動しての蔓延である事は一般庶民は承知してはいぬ此現状を見せ附けられていた私は大學へ診療に來る患者中先づ此疥癬治療の簡易必冶の療法を自分の研究事項にになしたい旨を土肥先生に申し出て賛成な得たから醫局同僚諸君に該患者は今後自分宛に全て送つて呉れるように打合せ濟みとなつた其爲に研究對象者には事缺かぬばかりでない多い日は78人も治療せねばならぬ事があつたが段々妙なもので私の治療開始以來患者がいつの間にか減少するようになつてやつと其煩累から免かれたのであつた此等患者の指間の小黒點を認める水疱から止め針でその水疱を功みに破ると時には其針尖に可愛らしい疥癬虫が聢かと取りついて捕れる場合もあつて之をデツキて押え標本にした事もあつたほどだつた。
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