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はじめに
公衆衛生における倫理的課題は,非常に単純化すれば,医師-患者関係における「自己決定権」を最優先する医療倫理の基本原則が,公衆の利益を目的とする公衆衛生的介入と衝突する場面で生じることが多い.
ことさら政治哲学や法哲学といった学問的基礎によらずとも,個人の権利と公益の調整は社会に求められる必然的課題といえるが,こと人の健康や生命を扱う保健医療の分野ではこの二つの利益(個人vs.社会)の対立が先鋭になりがちである.
さらには,生命倫理学の普及に伴う医療倫理学上の原則の転換が,この問題に大きな影響を及ぼしている.すなわち,以前は患者の最善の利益(best interest)を求めることが医療の最大の目的であった.この点では,公衆衛生が目指すもの(集団の健康利益の最大化)と医療の目的は合致しており,両者の差はその主たる介入法が予防か治療かということにすぎないともいえた.
ところが,生命倫理の4原則の一つである自律(自己決定)を最優先し,患者が納得したうえで,自分で自分が受ける治療を決めるというインフォームド・コンセント(informed consent)の理念が医療現場で急速に浸透すると,患者にとって,きっと良いと思われる治療法を患者が選択しない自由を認めることが医療倫理の大原則となってきた.つまり,いくら本人にとって良い(と思われる)介入だからといって,本人の同意のないものは行えないというのが医療の基本であり,それを逸脱して行われる治療はパターナリズム(paternalism)のそしりを免れないだけでなく,違法となる恐れが強い.
これに対して,公衆衛生分野ではそもそもその目的そのものが公衆の健康の維持・向上であることから,その強度はさておき,パターナリズム的発想を避けて通ることは困難である.もちろん,公衆衛生においても,インフォームド・コンセントが基本原則であることは間違いないが,その原則を侵してでも対応せざるを得ないものが公衆衛生の現場には存在するという現実は直視しなければならない.それでは,そうした強制が許されるのはどのような場合か,別の言い方をすれば公衆衛生的要請を拒否した個人を論難する倫理的根拠はなにかを検討するのが本稿の目的である.
そこで最初に,健康管理・疾病予防政策における倫理的課題の象徴的な例として,ワクチン接種の強制とその拒否の問題について考える.まず,わが国における予防接種制度の歴史について簡単に振り返ってみることとする.
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