特集 公衆衛生50年の回顧と展望
労働における疲労
松岡 脩吉
1,2
Syukiti MATSUOKA
1,2
1日本体育大学
2東京大学医学部
pp.55-57
発行日 1986年1月15日
Published Date 1986/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207196
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■敗戦に至るまで
今から50年前は昭和10年(1935)である.昭和10年はRMR(Relative Metabolic Rate)が古沢一夫氏により提唱された年である.その11月,八幡市での第8回日本産業衛生協会(1972年から学会,以下産衛と略)においてであった1,2).第15回日本生理学会総会が1936年10月暉峻義等所長を当番幹事として倉敷の労働科学研究所(翌年東京に移ったが,以下労研と略)で開かれたが,8会場で初めて分科会式に行われた.ここでも古沢氏によりRMRの提案と関連事項の説明がなされた3).RMRは人体の消費エネルギーの強度を表す適正な指標として今日に至っている.
1938年3月,前々からロックフェラー財団の寄付で建設の進められていた公衆衛生院(1949年から国立公衆衛生院)が設置され,1月すでに新設の厚生省の管下に置かれたが,労研創設以来のスタッフであった石川知福先生が5月,生理衛生部長として公衆衛生院に転ぜられた.厚生省依頼の開拓衛生のための調査,被服廠委託の防寒被服の性能の研究(人工気候室を利用)や鉄道省委託の保線作業合理化などの研究がなされて,私どもも加わったが,研究の基底には消費エネルギーの測定があった.
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