特集 疲労
疲労の保健
単調労働と疲労
森岡 三生
1
1労働科学研究所
pp.301-304
発行日 1972年5月15日
Published Date 1972/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204470
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わが国の労働科学の開拓者である暉峻義等先生は,労働者を現実の貧窮と労働の苦痛や負担から解放することへのヒューマンな情熱とともに,労働活動が本来的にもっている美への憧憬こそ労働科学研究者のモチーフであることを,色々な著述に強調しておられる.先生のいう労働の美は外見的な快活な動作やリズム,生々とした顔や目差しのみでなく,社会的な生産組織に結合され,生き抜いてゆく人間的活動の意味における善意と協働をそこに見るからで,労働の美とは真実であり道徳的であるとさえいっておられる1).産業における労働を人間の権威と人格を基盤に打立てようとしたところに労働科学が方向づけられていると思う.
今日,人間の叡智が科学技術の進歩を介して大きく社会を引っぱっている事実に,何人も目をそむけることができないと思うのだが,そういった人類社会の発展の基礎に,皮相的ないい方かも知れないが,人間のもつ怠惰と欲望の権化としての特性が作用しているように筆者には考えらられてならない.最も怠惰も欲望も表裏のもので,嫌なもの自己にプラスにならないことは怠け,好きなこと自分の欲しいものにはどんな努力も厭わない.しかし努力や苦労が目的ではないから,目的のための努力は最小限に,すなわち努力に対する目的の収量,いいかえれば効率を最大限にしようとするところに人間の智恵が働く.こういった人間の特性に人類社会の進歩と技術の発展があったのではなかろうか.
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