衛生公衆衛生学史こぼれ話
11.わが国ではどうだったか?
北 博正
1,2
1東京都環境科学研究所
2東京医科歯科大学
pp.512
発行日 1985年8月15日
Published Date 1985/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207089
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南蛮人の種子島渡来以来,宣教師を先頭にヨーロッパ人が来日したが,鎖国政策により暫く途絶えたものの,幕末から明治の初期にかけて,カトリックだげでなく,プロテスタントを主とする国の人々も訪日し,いろいろな日本見聞記,旅行記を残しているが,彼等は日本人の生活が,彼等とあまりにもちがっているのに驚き,また貧しいのに驚いている.木と竹と藁の堀立小屋はまさにその好例であろう.しかし連中の中には,日本人は清潔な生活をしていることを見抜いている人もいた.稲作文化の日本人は水田に入り,また夏は高温高湿という悪条件下に,発汗甚だしく衣類は不潔となるが,布地が毛織物とちがって,木綿や麻であるため洗濯を励行し,入浴を頻回行うことができないまでも,仕事のあと行水をしたりして体を清潔にし,屎尿は貴重な肥料となるので,屋外に便所を設け,悪臭が屋内に入らぬよう工夫したりして,随所に生活の知恵がみられ,同一時代の同一水準のヨーロッパ人とくらべると,日本人の方がずっと清潔だといわれている.
1876年,東大医学部生理学の教授として来日したチーゲル(Ernst Tiegel 1876〜1883在日)は衛生学の講義をも担当したが,江戸名物の大火を衛生学的見地から賞讃している.即ちヨーロッパでは古い家が残ってスラム街を形成し,改築や修理に金がかかりすぎ,放置されることが多く,このため住民は非衛生的生活を余儀なくされる.
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