人と業績・24
石黒忠悳—1845-1941年
西川 滇八
1
1日本大学公衆衛生学
pp.502-503
発行日 1982年7月15日
Published Date 1982/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206558
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西洋医学のわが国への輸入に当たって,空気・日光・気温・住居など環境衛生の重要性を紹介した辻恕介の長生法や,杉田玄端の健全学6巻などは,有名ではあるが個人衛生に関する書であった.これに対して西欧の公衆衛生学の概念や原理を紹介したのは久我克明の訳書である三兵養生論であった.これには標準体格とか,集団生活に適した宿舎,調理所,便所,浴室などのほか衛生工学関係のことも書かれており,まさに集団を対象とした保健衛生の書物であった.集団を対象とした健康管理や衛生管理は軍隊のそれが最も進歩していたことは明らかである.
明治4年(1871)に兵部大輔山県狂介(有朋)に出馬を要請された松本良順は,軍医寮の幹部に第一級の洋方医を抜擢しただけで,軍隊医学の運営についての立案実施は石黒忠悳(1845〜1941)が殆んど独力で行ったといわれている1).事実わが国の公衆衛生発展に尽力した逸材の中には,陸軍では森林太郎がおり,海軍では高木兼寛がいることに読者諸賢も気付かれていることであろう.
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