クローズ・アップ
—新潟の助産の黎明期に活躍した—木下(石黒)くに
pp.87
発行日 1999年2月25日
Published Date 1999/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902099
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日本の近代は明治維新によって夜明けを迎えた。明治新政府の樹立とともに,すべての体制が一挙に新システムを作りあげていったが,助産の世界でも近代教育が展開されるようになった。法的バックのなかった産婆の身分も明治7年制定の「医制」(同8年改訂)できちんと定められるところとなった。
新潟県でも産婆の教育と実務の近代化が急がれ,明治14年県立新潟医学校産婆教場がまず産声をあげた。明治18年三期めの卒業生8人のうちの1人に木下(旧姓・石黒)くにがいる。くには大変な秀才で,産婆として活躍したのはもちろん,産婆の身分の向上と後輩の育成にも力を尽した。昭和8年に新潟産婆組合立新潟産院院長となり,11年には大日本産婆会理事として産婆法制定促進運動に尽力したのも,くにの活躍の一端を語るものである。
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