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■はじめに
順天堂大医学部附属順天堂医院心臓血管外科の天野篤教授(56)が,「心臓バイパス手術のゴッドハンド」として,東大医学部附属病院に招聘され,平成24年2月18日,今上天皇を手術された.医療チームとして最高のものを陛下に提供できたことを,非常に喜ばしく思っている.順天堂大学と東京大学の明治初期の関係を調べることも,この機会に良いことであると思う.
順天堂医院・初代堂主の佐藤泰然は,このシリーズ第49回(47巻1号)に書いた.順番としは,第二代堂主の佐藤尚中であるが,彼の東京谷中の墓地と千葉佐倉宗園寺に分骨された尚中の墓を訪ねたことはあっても,彼の生家跡などの関連史跡などを訪れていない.第三代堂主の佐藤進(男爵,図1)は,よく遭遇する名前であり,親しみを覚える名前である.彼は平成の天野篤教授のように,非常に優れた外科医であり,明治・大正時代の最も著名な医者であった.今回は佐藤進について書きたいと思う.
平成11年(1999)に第100回日本医史学会が,東京の順天堂大学で催された.そのとき,順天堂大学の正面玄関の男爵・佐藤進によって書かれた大きな額の書が目についた.「博学之 審問之」と書かれている(図2).この書は現在,茨城県立太田第一高等学校の所有であり,今回学校の許可を得て,掲載させてもらった.これは,儒教の経典の一つ「中庸」の中にある言葉,「博学之,審問之,慎思之,明辯之,篤行之」の言葉の一節である.読み方は,「博く之を学び,審らかに之を問い,慎んで之を思い,明らかに之を弁じ,篤く之を行う」である.これは広く学び,詳しく問いただし,謹んで熟考し,自分や他人の言行の正しさの解明に努力し,篤(誠実さ)をもって,物事に対処してことが大切である,と人生訓を示している.またこの額の横に,校訓として「至誠,剛健,進取」の言葉が書いてある.これは「中庸」の中の「博学之 審問之」の全文の要約として,この校訓を受け止めた.
以前から,明治22年(1889)に不平等条約改正のため活動中,爆弾で狙撃された外務大臣・大隈重信の右大腿切断術を行った佐藤進に興味を抱いていたので,一昨年(平成22年)に茨城県水戸市で行われた第111回日本医史学会の折に,常陸太田の佐藤進の生家を訪れた(図3).また別の機会に東京の吉祥寺の進のお墓にもお参りした.
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