特集 医制100年
医学教育
中川 米造
1
1大阪大学医学部医学概論
pp.475-479
発行日 1974年9月15日
Published Date 1974/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204883
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日本の近代的医学教育の始めは,明治3年(1970)にドイツ人教師招聘についてプロシア公使と協定書をとりかわしたとき.または,ミュルレルとホフマンが実際に来日して授業を始めた4年とするのが一般的であるが,今年がちょうど100年になる明治7年(1874)8月に布達された「医制」も,行政とかかりあう医学教育のある側面を考える上で興味ある素材である.
医制第1条には「全国の医制ハ之ヲ文部省ニ統フ」と書かれており,第2条は「医制ハ即チ人民ノ健康ヲ保護シ及ヒ其学ヲ興隆スル所以ノ事務トス」とある.医制とは,いうまでもなく医療保健行政に関する基本法である.これが文部省の所管としていることが興味がある.さらに,この医療行政の中に,上の第2条にみられるように,医学振興行政また医学教育行政を含めているということも注意を呼ぶ.事実,医制76年のうち,21条が医学および教師の規定にあてられており,比重がかなり重いのである.もっとも医制自体はほとんど空文に近く,実施されたのは,そのうちの僅かの条文だけであり,文部省の医療行政所管も,翌年には内務省に移管され,医学教育は文部省に残ることになったのであるが,何故,医療行政の中に医学教育行政を位置づけようとしたのか,それが,空文となっただけに,その背景となる思想を探りたくなる.
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