講座
婦人労働(7)
嶋津 千利世
1
,
原田 二郎
2
1群馬大学教育学部
2杉野学園女子大学短期大学部
pp.129-132
発行日 1972年2月15日
Published Date 1972/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204430
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3.天皇制的労働関係の成立
日本の機械制生産も,マルクスが『資本論』によって一般化したような搾取の手段としての機能を遺憾なく発揮しながら,さらに日本的特色をおのずからそなえていた.すでにふれたように,日本では,マニュファクチュアは,みずからを否定することによって機械と大工業を成立させるという程度までには達していなかったし,また,資本が自由に利用できるようなプロレタリアートの集積もなかった.西ヨーロッパでは,機械制生産の成立によって,労働者は「妻子を売る」奴隷商人となったのであるが,日本では,この役割を口入や,桂庵がひきうけることになった.また,日本の資本家は,製品にたいする責任感よりは自分の懐にたまる剰余価値にいっそうの関心をもっていたので,より柔順な年少者だけを雇用しようとした.したがって未婚者がおおく,3年くらいで嫁入りのために退職してゆくことがいわば習慣として成立しており,資本家はこのあいだにできるだけの労働を搾りあげることに腐心することになる.慣習と資本家の欲望が習合して短い勤続年数という慣習,あるいは工場労働の実績をつくったのである.
資本主義社会における発展の不均等性はいわゆる第1部門すなわち生産手段生産部門と第2部門,つまり消費部門とのあいだで決定的であり,不可避的であったが,この法則は工業と農業のあいだでもあきらかにみられる.
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