特集 赤痢(Ⅱ)
疫痢に関する諸論爭
森重 靜夫
1
1都立駒込病院
pp.32-36
発行日 1954年8月15日
Published Date 1954/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201441
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1.疫痢という名称
疫痢という名称は既に支那明朝時代の医書に記載せられ流行性小兒下痢症を総括したものであると云われ,我国に於ても平安朝時代から用いられた「はやり痢」又は「はらやく病(腹疫病)」から出発して疫痢という名称ができたものと云われている。我国の中でも名古屋地方では「はやて(颶風病)」と云い,熊本地方では疫痢と云い,又福岡地方では急症と云われているが,何れも流行性の小兒下痢症を総称したもので,今日の赤痢を含むものと解せられる。然るに明治31年伊東祐彦氏が疫痢の病原体を分離したと発表以来,多くの学者が病原体の検索に努力して次々と発表が行われその結果として赤痢疫痢別種説と赤痢疫痢同種説が現われ,後者の説では疫痢の病原体は赤痢菌であるから,疫痢という名称は学問的には不適当で赤痢と称すべきであると主張し,これに賛成する学者も多く,一部には医学上疫痢という名称を抹殺すべしと唱える人もあつた。然し疫痢という名称は,それが学問上では独立した疾患ではないとしても,俗間広く且つ深く浸透した語で,一部の人が疫痢症状を呈する患兒の診断に「赤痢」といつても巷間では直入し難いし,また赤痢の中の小兒に特有な劇性型を疫痢と云うことが早わかりというようなことから今日も疫痢という語は日常一般に使われている。
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