--------------------
本學に於ける衞生學及び公衆衞生學教育カリキュラム
堀内 一彌
1
1大阪市立醫科大學
pp.234-236
発行日 1951年11月15日
Published Date 1951/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200962
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私どもの醫科大學は創立以來未だ4年に滿たない。したがつて私のこの大學に於ける經驗も未だ一定の型にはまつていない。
元來この大學は戰時中の大阪市立醫專が醫大に昇格したものであつて,その時のこの大學の特長として公衆衞生方面を大いに伸ばして行こうということであつた。そこで私も木下良順前學長の意氣込みに惚れこんで,昭和24年春に着任したのであつたが,その後は我國一般の經濟状態が良好でなかつた上,昭和25年9月には臺風の襲來をうけて,大阪市は膨大な赤字に悩むこととなり,あれやこれやで私どもの考えの1/5も未だ實現されていない。しかし私は當初の理想が實現不能というのでなくて,豫算の關係上實現がおくれていると考え,近い將來に於てこの大學が大きな發展をなすことを信じて疑わない。
Copyright © 1951, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.