特集 結核
結核豫防工作の振興
野邊地 慶三
pp.1-3
発行日 1950年1月15日
Published Date 1950/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200564
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今次大戰中我國の公衆衞生事業は結核豫防に焦點をおかれてあつたのであるが,戰後發疹チフス及び天然痘の劃期的流行,赤痢の大蔓延等敗戰にともなう急性傳染病の多發のために,公衆衞生事業の重點は急性傳染病對策に移されたのは止むを得ない行政處置であつた。しかしながら結核が已然死因の第一位を占め,年々15萬内外の生命を奪い,その凡そ10倍と推定される,多數の患者があつて國家再建途上の一大ハンデイキヤツプとなつている我國に於いては,一日も早く結核豫防を主軸とする衞生行政方針に復歸すべきは理の當然である。幸いに占領軍衞生當局の適切な指導と支援の下に,急性傳染病は我國の衞生史上見られない低位に制壓され主力を結核豫防に割きうる状態となつた。そして又ヂフテリア豫防接種禍以來,ツベルクリン及びBCGの使用を封ぜられ,不可缺な羅針盤と武器を失つてこの数カ月後結核豫防施策の空白を生じたのである。しかしながら此の兩劑の使用も解禁され本格的結核豫防工作が可能となつた。衞生當事者は今こそ再び結核豫防工作を強化して結核禍の侵襲から國民をまもるべきである。
米國のマサチューセッツ州の結核死亡率は同州の本格的公衆衞生活動の始まつた當初すなわち前世紀の中葉から今日にいたる約百年の間に人口萬對44強から4強に下り實に1/10以下に減少したのである。
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