論説
豫防接種公布の意義
野邊地 慶三
pp.258-259
発行日 1948年9月25日
Published Date 1948/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200341
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書名も著者名も忘れたが,編者は少年時代或る書で「2000年後の人類』と云ふ次ぎのやうな作話を讀んだことがある。「曾つて文華の都であつた巴里の荒れ果てた廢虚に,ひとり尚そびえて居るエツフエル塔の礎石の傍に異樣な肉塊のやうな動物が動めいて居つた。それは2000年後の人類の姿であつた。人類は其發明した自動車や其他の所謂文明の利器の慣用によつて手足が不用になり,そのために手足は退化して痕跡と化し,身體さへも次第に退化して矮少となり遂にこの姿となり果てたのである。そして其の昔,人類がよく制遏して居つた微生物がこれに代つて世界を支配して居るのである」と。これはもとより荒唐無稽な一作話に過ぎないが,論者はこの中に冷嚴な疫學上の自然律を感得するのである。即ち生物は病原體との不斷の抗爭によつて之れに對する免疫を保持するのであるが,處女地或は豫防對策效を奏して無病地となつた地方の人間は免疫を失ふものである。そして彼等が一朝流行地赴く場合はその犧牲となる危險が大きいものであると言う鐵則である。この事實の例證は枚擧に遑がないが,今年本州を風靡した日本腦炎に例をとつても,本病の無病地帶である北海道産の馬匹に本病ヴィールスに對する中和抗體を缺くものである。その爲めに彼等が本州に移入された最初の夏の本病との遭遇戰に於てその犧牲となる事例が多くこれが患馬の大多數を占めて居るものである。
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