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結核豫防の過去と將來—米國にをける
pp.245-246
発行日 1946年12月25日
Published Date 1946/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200086
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Editorial-Tubereulosis Control:Past and Future. Public Health Reports,Vol. 61. No. 27, July 5, 1946.
1882年,コツホが結核菌の發見を發表して以來,結核豫防及び撲滅に幾多の進展が遂げられた。この鬪ひに於ける最も重要な武器は,1895年の秋發見されたヱツキス光線であつた。1089年に於ける米國の結核死亡の割合は,人口10萬に付き245名であつたが,1904年までに200名に下つた。此の年には僅か6ツの結核豫防對策と,僅か百の結核療養所竝に病院があつただけで,またこれら諸施設のベツト數1萬の中の殆んどは,現今の最低規準ににも達しないものであつた。又たその早期診斷法に關しては信頼すべき方法は全然なかつたのである。1904年,國民結核豫防協會が結成され,且つニユーヨーク,ボストン,フィラデルフィヤ,シカゴ,ワシントン及びケムブリッツチ,マサチューセッツに於いて組織的な結核豫防計畫が開始された。1905年から1915年に互る次の10年間は,療養所による治療と保健教育に於いて意義深い進展がなされた時期であつた。外氣療法,高地及び登山などすらも結核療法に有效であると考へられてゐたが,結核患者に健康的な環境を與へることの一定の試みがなされるに至り,隔離が必要だとされるやうになつた。
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