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平成20年年頭を飾る本欄は,新潟県の保健師さんを取り上げたいというのは企画当初から念頭にあったことでした.それは新潟県の保健師(婦)たちの歩んだ歴史と公衆衛生看護教育の伝統を,今も心に刻んで活動している保健師たちが新潟にたくさんいることを知っているからです.公害で名を馳せた新潟水俣病当時の先輩保健婦たちが行政内で「危険婦」と言われた(「住民の味方ばかりして行政の言うことを聞かない」)話は有名ですが,環境的には世界一の規模を持つ原子力施設を誘致し,北朝鮮拉致の被害を身近に引き受けた県,そして中越地震(2004.10.23),中越沖地震(2007.7.16)と3年間に2度もの大震災では,地域と密着した新潟の保健師たちのPHN魂を改めて証明してくれました.一方で,大型合併が進み,医療制度改革や民間への業務委託,国をあげての特別健診・保健指導が導入され,それまで長年培ってきた新潟の保健師活動の根幹が揺らぎそうになってきたという状況は,本誌9月号第1回〈PHNに会いたい〉の「はじめに」(ぎりぎりのSOS)でも書いた通りです.
さて,今月号の案内人をお願いした山田春美さん(52)は,3年前の中越地震ではもっとも被害の大きかった地域の1つ,旧刈羽郡小国町(現長岡市小国)で活躍した保健師です.翌年,長岡市との大合併も経験していますし,今回の中越沖地震でも同町は柏崎市隣接地として再び大きな被害を受けてしまいました.また,全国の自治体でも珍しい原発立地の隣接自治体として旧小国町は10年も前から,「いざというとき」に備え独自で放射能の予防薬ヨウ素剤を全戸配付し常備している町でした.私は10年前にこの問題で渦中の牧野功平(元)町長にインタビューをした経緯があり,山田保健師とはそのときに出会いました.彼女は若い頃,仕事に行き詰まり参加した研修会で,保健(婦)師がなぜ行政にいるのかを問われ,「行政における保健婦の配置は地方自治法に法的な根拠はなく,憲法25条があるからだ」と聞いたことを愚直に守ってきた「普通の保健師」だと言います.「公務員であり保健師である」ことの意味を常に自らに課してきた保健師だということも,私が願うPHNの具体的な「コア・モデル」の1人という根拠になっています(詳しくは後述).
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