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木下さんと最初にお会いしたのは,木下さんが老人福祉財団の研究室,私が東京都の老人総合研究所に勤務していた1990年頃だったと思う。当時の木下さんの印象は,カリフォルニア大学で老年学の博士号を取り,グレイザーとストラウスの『死のアウェアネス理論と看護』(医学書院,1988)の翻訳も出しているという輝かしい経歴の持ち主であり,留学の経験もなくアメリカの老年学の最新論文を読んで必死に勉強していた私にとっては眩いばかりの存在であった。一方で,そのような輝かしい経歴にもかかわらず,日本の社会学会の中ではそれほど注目されていなかったのは,当時はまだ医療や福祉に対する関心が薄く,社会学の中でもマイナーの領域だったからである
その後,お互いに大学に移り,医療や福祉に対する学会内での関心も徐々に高まっていった。木下さんはその後も次々に老年学関係の著書を出されていたが,木下さんを一躍有名にしたのは,『グラウンデッド・セオリー・アプローチ』(弘文堂,1999)の出版であろう。質的研究への関心の高まりとも相俟って,社会学のみならず看護や福祉など多くの領域で注目されていまに至っている。この頃,ある公開研究会でグラウンデッド・セオリー・アプローチ(以下,GTAと略)をテーマに木下さんが報告し,私がコメンテーターをしたことがあった。そのときに,「GTAの素晴らしさは十分わかったが,GTAが主張する「データに基づく理論生成」という点でいままでどのような理論が生まれたのか」という質問をしたところ,「いや,あまりたいした理論はありません」という答えが返ってきて,やや拍子抜けするとともに,木下さんの温かさと優しさのようなものが伝わってきて少しほっとしたことを思い出す。
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