追悼
三木さんの思い出
天児 民和
1
1九州大学
pp.229-230
発行日 1966年6月25日
Published Date 1966/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408908431
- 有料閲覧
- 文献概要
5月7日丁度私は友人の御子息の結婚の昼食パーティーに出席していた.そこへ今東大整形外科から電話があつたと言つて教室から三木さんの死を報じてきた.その電話が会場の隅においてあるので御目出たい席で余り大きな声で話すこともできず一応電話を切つて会を済ませて急いで家に帰つた.それから9日の告別式に出るための飛行機の切符を予約したり,日程変更の電話をしたり忙しかつたが,さて落着いて考えてみると急に三木さんに対する思い出が色々と蘇つてきた.三木さんは私より1年先輩である.片山,岩原,三木,水町,天児と大体このへんが卒業年次が1,2年の差でもう30数年間学会で一緒に顔を合わせてきた.日本整形外科学会は今日こそ4,000人に近い会員を有し我が国でも有数の学会になつたが,私がはじめて日本整形外科学会総会に出席した昭和6,7年頃には4,50人の出席者で宿題報告でもある時には外科の方から人が集つてきて少しは多くなつたが誠に貧弱な学会であつた.しかし会員の数が少なく,当時は大学の講座数も非常に少なかつたので家族的な学会で我々はすぐに親しくなた.そして今日まで我々は互に切磋琢磨して学会のために働いてきた.勿論,我々は互によく討論もし,よき意味のライバルであつた.元来三木さんは九州の出身である.彼は小倉中学を出ているので九州には彼の同級生や知人も少なくない.
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.