Japanese
English
特集 精神分析はたのしい――人文知との邂逅・民主化の未来
精神分析的精神療法――時を経て確かなもの
髙野 晶
1
1北参道こころの診療所
pp.37-44
発行日 2026年8月20日
Published Date 2026/8/20
DOI https://doi.org/10.69291/cp26070037
- 有料閲覧
PPV購入案内
2,200円 (2,000円+税10%) こちらは、37ページから44ページの文献です。
PPV(ペイ・パー・ビュー)とは、論文(記事)単位で購入・閲覧ができるサービスです。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
- 参考文献 Reference
1 はじめに
私が精神分析的精神療法と出会ったのは,臨床上,抜き差しならない事態に陥った時だった。主治医を担当しながら傾聴を中心とした面接を行っているうちに,患者はどんどん具合が悪くなった。事態を見かねた同僚の勧めで,先輩から応急処置的に精神分析的なものの見方の手解きを受けた。目から鱗であった。そして系統的な学び方をするようになった(髙野,1991)。その後40年ほど経つが,私は精神分析ではなく精神分析的精神療法を選び,訓練を受け,そのフィールドに居続けている。
この間に精神分析には新しい潮流がいくつも興り,精神分析的精神療法も自ずとその影響を受けてきたし,学んできたものの位置付けは,時間による彫琢を経て変わってきた。
常々思うのは,さまざまな理論はひとまず仮説であるということだ。それが時間と共にさまざまな検証を経てそのまま残ったり,修正されたりしてゆく。Freud自身が自らの理論に対してそのような姿勢を取り続けていた。40年という時間の経過で,そういった変遷の一端を垣間見ることにもなった。
そしてまた,特に2010年前後から精神分析と精神分析的精神療法を比較した考察も諸々行われた(髙野,2017b)。さらに,精神分析的精神療法ならではというものを抽出するような論考も出てきている(北山・髙野,2017;髙野・山崎,2024)。
本稿では精神分析的精神療法の概論的なことは述べず,本特集の趣旨を受けて,上述の流れを経て今,精神分析的精神療法において本質的であると私が実感していることをいくつか記そうと思う。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.

