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特集 ソーシャルジャスティス――誰のための/何のための正義か?
スタートラインを整備する――合理的配慮と環境の整備
佐々木 銀河
1
1筑波大学
pp.475-478
発行日 2026年7月10日
Published Date 2026/7/10
DOI https://doi.org/10.69291/cp26040475
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I はじめに
本稿は,臨床心理学におけるソーシャルジャスティス(社会正義)の観点から,大学等の高等教育機関における障害者への対応,すなわち障害のある学生の学びへのアクセス保障について論じる。ここでいうソーシャルジャスティスとは,学びへのアクセスが誰にどのように開かれているのかを問い,アクセスを妨げる条件が個人の努力不足として見えなくされていないかを点検する視点である。障害の視点からソーシャルジャスティスを捉えることは,教育機会の分配だけでなく,自立や依存をめぐる価値づけ,意思決定への参加のあり方を問い直すことにもつながる(Mladenov, 2016)。
障害のある学生の困難を本人の能力や自己責任に還元すると,制度・環境・慣行がつくりだす社会的障壁が不可視化され,不公正が温存されやすい。本稿の主張は,障害学生支援を個人への特別な配慮としてではなく,教育機関が社会的障壁を点検・除去し,学びへの参加条件を整える営みとして捉え直す必要がある,という点にある。この観点から,合理的配慮と環境の整備を補完的な実践として位置づけ,実効的に機能させる条件としての建設的対話の重要性を論じる。

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