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I はじめに
1968年,静岡で在日朝鮮人二世の青年が暴力団員2名を射殺した後,人質をとって旅館に立て籠もる事件が起こった。世に言う事件である。彼は立て籠もる旅館に報道陣を呼び寄せ,日本における在日朝鮮人差別を糾弾した。現職警官に侮辱されたことを発端に事件を起こし,静岡県警の幹部と当該の警官に謝罪させることをメディアを通じて要求したのである。金は報道官を装った警察官に逮捕され無期懲役になり仮釈放の後,韓国に移住してその地で亡くなった。架空の話として,もしもこの事件に加害者臨床の専門家として相対するなら,大袈裟ではなく,私は身動きが取れなくなるのではないか,と切実に感じる。
心理臨床における社会正義アプローチは,社会に遍在する経済格差や差別などを加味し,「マイノリティ性を帯びたクライエントの傷つきの声に対する感受性」を持つことが重視される(和田ほか,2024,p.ⅶ)。これまで心理臨床は「心の中」だけに問題を見出して社会的要因を十分に考慮してこなかった。そのせいで,クライエントの傷を正確に把握することができず,場合によっては偏りある社会に適応させてきた負の歴史がある。それを思えば,社会正義という視点を導入し,臨床家のポジショナリティとその影響を省察することは,重要な転換点と言えるだろう。
しかし,加害者臨床という領域において,そのアプローチをそのまま適用することはできない。例えば,金嬉老事件において,民族的マイノリティである金が被ってきた民族差別とその傷つきを受け止めることを重視した場合,彼が起こした殺人と脅迫という暴力を矮小化してしまう危険がある。実際,彼の犯行の原因を差別問題に還元する言説が,事件後多く展開され,金は民族差別に対抗した英雄ともてはやされもした(鄭,2014)。その状況は,被害者遺族や,脅迫された被害者たちからすれば看過できないものだったに違いない。一方,被害者たちの立場に立つならば,民族差別の問題よりも,金嬉老という「個人」が犯した暴力そのものの罪を問う視点が重視されるだろう。しかし,その立場を強調しすぎれば,金が経験した差別や社会的不正義が見逃されてしまう注1)。
フェミニスト・カウンセリングがそうであるように,社会構造の視点に立ってなされる臨床の多くは,クライエントが社会の中で周縁化され,何らかの被害を受け,そして生活に困難を抱えていることを想定する。しかし,加害者臨床の場合,この一貫性が成り立たない。金嬉老のように,マイノリティ性や被害性を持っている個人が別の誰かを抑圧しているケースが少なくないからだ。こうしたねじれが発生したとき,臨床家の立場性は途端に不安定になる。
本論では,私が取り組むDV加害者を対象にした脱暴力対応の現場をフィールドとし,セラピストが立脚点を定める困難さについて論じていきたい。DVは,親密圏で長期的に生じる暴力であり,また社会構造の影響を多分に受けるため,加害と被害を見極めるのが難しい領域である。以下,私が関わった3つの事例をもとに,検討を進めていきたい。なお,事例の使用はクライエントから許可を取り,それぞれ匿名化している。

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