Japanese
English
連載 古典あれこれ
アレクサンダー・グラハム・ベルの来日講演
富澤 晃文
1
Akifumi Tomizawa
1
1国際医療福祉大学成田保健医療学部言語聴覚学科
キーワード:
グラハム・ベル
,
メイベル夫人
,
東京盲唖学校
,
聴覚障害児教育
,
伊澤修二
Keyword:
グラハム・ベル
,
メイベル夫人
,
東京盲唖学校
,
聴覚障害児教育
,
伊澤修二
pp.1245-1250
発行日 2026年9月1日
Published Date 2026/9/1
DOI https://doi.org/10.24479/ohns.0000002348
- 有料閲覧
PPV購入案内
2,750円 (2,500円+税10%) こちらは、1245ページから1250ページの文献です。
PPV(ペイ・パー・ビュー)とは、論文(記事)単位で購入・閲覧ができるサービスです。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
購入には医書.jp本会員登録が必要です。
会員登録完了後に改めて上記「購入サイトへ」を選択してください。
または「購入サイトへ」選択後に「購入ログイン」、「新規会員登録」の順に進んでください。
会員登録について詳しくはをご確認ください。
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
- 参考文献 Reference
日本への渡航
1898年(明治31年)8月28日,電話の開発者であったアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell,1847〜1922)は,アメリカ東海岸のボストン市で高齢の父親に一通の手紙を書いた1)。グラハム・ベルはその生涯を聴覚障害児教育に捧げた専門家であり,その父メルヴィル・ベル(Alexander Merville Bell,1819〜1905)は,発音の表記法・指導法であるビジブル・スピーチ(visible speech:視話法)の考案者であった。グラハム・ベルは,聴覚障害のある教え子でもあった最愛の妻メイベル(Mabel Bell,1857〜1923)と2人の娘(エルシー20歳,マリアン18歳)とともに,2週間後に日本に行く予定であった(図1)。「メイベルも私も旅行に行くこと自体にはあまり興味はないのですが,子どもたちと旅行に行ける機会はもう限られていますので」と,父親にその心境を伝えたという。

© tokyo-igakusha.co.jp. All right reserved.

