特集 精神分析はたのしい――人文知との邂逅・民主化の未来
精神分析×エスニシティ――「見える差異」と「見にくい差異」の視点から
尹 成秀
1
1帝京大学
pp.137-142
発行日 2026年8月20日
Published Date 2026/8/20
DOI https://doi.org/10.69291/cp26070137
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
1 はじめに
エスニシティ(ethnicity)とは民族性とも訳され,その定義についてはさまざまな意見や立場がある。本稿では,精神分析および精神分析臨床にかかわる議論を行うことをふまえ,文化人類学者である竹沢(1994)の「エスニック集団あるいはその一部の構成員がそのエスニック背景に基づき意識的・無意識的に表す心理的・社会的現象」という定義を参考にしたい。この定義に従えば,エスニックアイデンティティ(民族的アイデンティティ)もエスニシティの一側面として位置づけることができよう。
なぜ私がエスニシティに関心を持つのか。ひとつは,私が,日本で「尹 成秀」として生き,精神分析臨床に携わる上で,エスニシティを考えることを避けては通れないためである。また,私が日本のエスニックマイノリティ(民族的マイノリティ)との精神分析臨床ならびに心理臨床において,エスニシティと関わる生きづらさや諸問題について考える必要があるためである。
諸外国の議論では,エスニシティよりも人種(race)の言葉が用いられている。諸外国で両者は明確に区別されず互換的に用いられることもある(Moodley & Palmer, 2006)。たしかに,人種の議論とエスニシティの議論は重なる部分がある。その上で,私は日本のエスニックマイノリティの実情を踏まえて,人種とエスニシティの議論を,「見える差異(visible difference)」と「見にくい差異(invisible difference)」の視点から捉え直すことを試みたい。そして,日本の精神分析臨床のなかでエスニシティに関する議論を,どのように位置づけ展開していくことができるかを考えてみたい。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.

