- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
1 はじめに
「トラウマ」とは,死の恐怖を伴うような圧倒的な体験によって生じる,心の深い傷を指す。日本語では「心的外傷」とも訳される。トラウマを経験すると,心理・身体の両側面において多様な症状が現れることが知られている。
トラウマによる代表的な障害のひとつに,心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder : PTSD)がある。『精神障害の診断と統計マニュアル 第5版(DSM-5)』(APA, 2013)において,PTSDは「実際に,あるいは危うく死に至る出来事,深刻な負傷,または性的暴力といった精神的衝撃を伴うトラウマ体験に曝されたことによって生じる,特徴的なストレス症状群」と定義されている。
トラウマは心の傷とされるが,その契機には恐怖と同時にしばしば身体的な痛みが伴う。すなわち,身体的な痛みそのものがトラウマの直接的な要因となる場合も少なくない。たとえば,重篤な疾病の治療,事故や事件による身体損傷は,当事者にとって深刻なトラウマ体験となりうる。一方で,トラウマ体験後に器質的所見が認められなかったにもかかわらず,慢性的な身体痛が持続するケースも少なくない。
筆者自身も過去に入院を経験し,外科的治療の過程で激しい身体的苦痛を体験した。その体験から痛感したのは,「痛みは人の生活の質(Quality of Life : QOL)を著しく損なう」という事実である。痛みは,人が安全かつ安心して暮らす力を奪い,日常生活に重大な支障を来たす。ちなみに筆者は,日常生活を取り戻すために,痛みを和らげるための鎮痛薬の服用を繰り返したが,その副作用として胃痛が発生し,結果的に新たな痛みを抱えるに至った。すなわち,ある痛みを軽減しようとした結果,別の痛みが生じるという逆説を経験したことになる。
このような構図は,心理的な痛み―すなわちトラウマによる精神的苦痛―においても見られる。心の傷を癒そうとする過程において,異なる形の苦痛や葛藤が新たに生じることがある。つまり,トラウマの回復またはトラウマから生き延びるということは,単に痛みを取り除くだけにとどまらないため,その過程において生じる痛みや反応に対しても目を向ける必要がある。
松本(2004)は,自傷行為について「心の痛みを身体の痛みに置き換える」行為であると説明している。これは,言語化や他者との共有が困難な精神的苦痛を,身体的痛みという具体的かつ可視的なかたちに変換することで,自らのコントロール下に置き,一時的な安心や安定を得ようとする「自己治療的」な試みとされる。痛みが単なる病理ではなく,生存戦略の一環である可能性を示唆している。
以上のように,痛みは「トラウマの原因」としてだけでなく,「トラウマの症状」,そして「トラウマに対する自己治療行為」としての側面を併せ持つ。これまでの医療や精神保健領域では,心と身体の痛みをそれぞれ別個のものとして扱う傾向が強かった。だが実際の臨床現場では,両者を明確に区別することが難しい場面が多く,むしろ両者を相互に関係づける統合的理解が求められている。
本稿では,こうした視点に基づき,トラウマと身体的痛みの相互関係を整理し,両者を包括的に扱う治療的アプローチの意義と可能性について検討する。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.