特集 学派論――公認心理師時代に学派を再考する
なぜ精神分析なのか?
吉村 聡
1
1上智大学
pp.691-695
発行日 2025年11月10日
Published Date 2025/11/10
DOI https://doi.org/10.69291/cp25060691
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「こんなに面白いものはないから」「本物だと思うから」
表題に対する私の答えは,これに尽きる(ちなみに私の場合,「なぜロールシャッハなのか?」と問われても,同じ答えになる)。正直なところ,この2つに集約されるので,ここですべて終わりにしてもいい。
でも,それでは身も蓋もない気もする。そこで改めて考えてみたい。私は,精神分析のどこに惹かれているのだろうか。精神分析の,何がどのように本物であると感じられるのだろうか。
これらの問いに答えようとすると,精神分析のいくつかの特徴が浮かぶ。ただし,そのいずれもが「私の思う精神分析」である。さらに考えていくと,どうしても,私の個人的なところに触れる必要が生じてくる。こうしてみると「なぜ精神分析なのか?」への答えは,個別性が高くならざるを得ない。これが何かの役に立つのかはわからない。そもそも一般的な答えがあるのかどうかもわからないし,一般解を探そうとすることが分析的であるとも思えない。
すでにここにも,精神分析のひとつの特徴がある。分析は徹底して個別的である。分析家その人から切り離して論じることも難しい。客観的で中立的であろうとするほど,それは精神分析の姿に似ていながら全く異質のものに変わっていく。私は,精神分析のこのような個別性と,徹底的に主観的でありつづけるところが気に入っている。
とはいえ,私は精神分析家としては駆け出しの身であり,たいそうなことはいえないが,現時点で思う「なぜ分析なのか?」に対する,自分なりの考えをまとめてみたい。

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